2018.02.07 Wednesday

お休みのお知らせ

0

    二週続きになってしまいますが、今週もわたしに都合によりブログの更新をお休みさせていただきます。

    来週から再開する予定です。

     

    久居新生教会牧師 霤朕心鄂

    2018.01.31 Wednesday

    「お休みのお知らせ」

    0

      いつも【聖書のはなし】をお読みいただきありがとうございます。

      今週は私の都合により、更新をお休みさせていただきます。

       

      「読んでますよ」「読んでるよ」の一声が、いつも大きな力になっています。

      ありがとうございます。

       

      久居新生教会牧師 霤朕心鄂

      2018.01.24 Wednesday

      「当たり前の一日」創世記8:1-22

      0

        <聖書>

         8:1神はノアと、箱舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心にとめられた。神が風を地の上に吹かせられたので、水は退いた。 8:2また淵の源と、天の窓とは閉ざされて、天から雨が降らなくなった。 8:3それで水はしだいに地の上から引いて、百五十日の後には水が減り、 8:4箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。 8:5水はしだいに減って、十月になり、十月一日に山々の頂が現れた。

         8:6四十日たって、ノアはその造った箱舟の窓を開いて、 8:7からすを放ったところ、からすは地の上から水がかわききるまで、あちらこちらへ飛びまわった。 8:8ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、はとを放ったが、 8:9はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。 8:10それから七日待って再びはとを箱舟から放った。 8:11はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。 8:12さらに七日待ってまた、はとを放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。

         8:13六百一歳の一月一日になって、地の上の水はかれた。ノアが箱舟のおおいを取り除いて見ると、土のおもては、かわいていた。8:14二月二十七日になって、地は全くかわいた。 8:15この時、神はノアに言われた、 8:16「あなたは妻と、子らと、子らの妻たちと共に箱舟を出なさい。 8:17あなたは、共にいる肉なるすべての生き物、すなわち鳥と家畜と、地のすべての這うものとを連れて出て、これらのものが地に群がり、地の上にふえ広がるようにしなさい」。 8:18ノアは共にいた子らと、妻と、子らの妻たちとを連れて出た。 8:19またすべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上に動くものは皆、種類にしたがって箱舟を出た。

         8:20ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。 8:21主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。 8:22地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう」。

        口語訳聖書(1955年版) 創世記8:1-22

         

         季節も年月も当たり前に過ぎてゆくけれど、それらがどうして「やむことはない」のかと考えることはあまりない。

         一日の生活を当たり前のように享受しているけれど、そこには信じられないほど莫大な神の働きがあるのだなということを、思わされる。

         

        わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。」(8:20)

         「のろう」とは地のために働かないこと、地を見捨てることである。神は大洪水の後、二度とを大地をも人をものろうことがなかった。ただ一人の例外が、神の子イエス・キリストである。

         「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコによる福音書15:34)

         人が罪の故に受けなければならなかった神の呪い、棄却はすべてキリストが背負われた。だから、神は人を呪うことはない。裁くことはあっても呪うことはない。悪人にも善人にも日は昇る。

         

         世界を保つために神は日々働かれている。人を救うためにはただ一度、特別な仕方で働かれた。

        神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16)

         十字架の死は神の呪いとしての死である。キリストの死に秘められた救いを信じる人は、神が日々働いておられる世界を、信仰において見出す。

        8:21わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。 8:22地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう

         

        久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

        2018.01.17 Wednesday

        「どぶ川を生きる」創世記7:1-24

        0

          <聖書>

           7:1主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。 7:2あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを七つずつ取り、清くない獣の中から雄と雌とを二つずつ取り、 7:3また空の鳥の中から雄と雌とを七つずつ取って、その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい。 7:4七日の後、わたしは四十日四十夜、地に雨を降らせて、わたしの造ったすべての生き物を、地のおもてからぬぐい去ります」。 7:5ノアはすべて主が命じられたようにした。

           7:6さて洪水が地に起った時、ノアは六百歳であった。 7:7ノアは子らと、妻と、子らの妻たちと共に洪水を避けて箱舟にはいった。7:8また清い獣と、清くない獣と、鳥と、地に這うすべてのものとの、 7:9雄と雌とが、二つずつノアのもとにきて、神がノアに命じられたように箱舟にはいった。 7:10こうして七日の後、洪水が地に起った。

          7:11それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、 7:12雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。 7:13その同じ日に、ノアと、ノアの子セム、ハム、ヤペテと、ノアの妻と、その子らの三人の妻とは共に箱舟にはいった。 7:14またすべての種類の獣も、すべての種類の家畜も、地のすべての種類の這うものも、すべての種類の鳥も、すべての翼あるものも、皆はいった。 7:15すなわち命の息のあるすべての肉なるものが、二つずつノアのもとにきて、箱舟にはいった。 7:16そのはいったものは、すべて肉なるものの雄と雌とであって、神が彼に命じられたようにはいった。そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた。

           7:17洪水は四十日のあいだ地上にあった。水が増して箱舟を浮べたので、箱舟は地から高く上がった。 7:18また水がみなぎり、地に増したので、箱舟は水のおもてに漂った。 7:19水はまた、ますます地にみなぎり、天の下の高い山々は皆おおわれた。 7:20水はその上、さらに十五キュビトみなぎって、山々は全くおおわれた。 7:21地の上に動くすべて肉なるものは、鳥も家畜も獣も、地に群がるすべての這うものも、すべての人もみな滅びた。 7:22すなわち鼻に命の息のあるすべてのもの、陸にいたすべてのものは死んだ。 7:23地のおもてにいたすべての生き物は、人も家畜も、這うものも、空の鳥もみな地からぬぐい去られて、ただノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。 7:24水は百五十日のあいだ地上にみなぎった。

           

          口語訳聖書(1955年版) 創世記7:1-24

           

           注解書を読んでいて初めて気付いたのだが、「7:1わたしの前に正しい人」と神から認められた最初の人は、ノアである。そういえばそうだ。アダムとエバの背信、カインの殺人、レメクの復讐の叫び、まあ散々だった。唯一の例外は「エノク」という人で、彼については「 5:22エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。」こう書かれている。ただし、エノクに関してはせいぜい三行か四行しか書かれていないので、詳しいことは分からない。そういうわけで、エノクを例外とすれば、ノアは最初の「正しい人」だったと言える。

           ノアが生きた時代については、次のように言われている。

          6:11時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。 6:12神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。

           聖書で最初の「正しい人」は、暴虐の満ちた時代に生まれた。「正しい」とは「神との関係の正しさ」を言う。神を信じ、神に従う人が旧約聖書で言うところの「正しい人」である。

           楽園に正しい人は生まれなかった。正しい人はどぶ川のような時代に生まれた。

           甲本ヒロトはブルーハーツにいた時、次のような詩を書いた。

          「ドブネズミみたいに 美しくなりたい。」

           ドブネズミは住みかがドブであることに不満を漏らしたりしない。ただひたむきに生きるだけだ。そんな姿を甲本は美しいと言ったのかもしれない。

           失礼な言い方かもしれないが、ある意味で、ノアは美しいドブネズミだった。不正と暴力にまみれた世界のただ中で、ひたむきに神を信じ、信仰に生きた。

           

           新しいものは、きっとどぶ川の中から生まれるのだろう。今私たちが、不正のはびこり、暴力が支配し、無理が通って道理が通らない時代に生きているのだとすれば、それは本当に新しいものが生まれるのを見るためなのだ。信仰というものが、本当のところ何なのかということを、ドブの臭いがし始めているこの時代の中でこそ知るのだ。

           

           今日の箇所にこういう言葉がある。

          7:5ノアはすべて主が命じられたようにした。

           ノアの信仰とは、「神の言葉に従うこと」だった。神ならぬものに従ってはならない。それが国家であれ、権力者であれ、身近な誰かであれ、神ならぬものを拝んではならない。

           神を信じ、神に従うということがどういうことなのか、きっと私たちはこの不正にまみれた時代の只中で知るだろう。その信仰がこの時代を渡る箱舟になる。その信仰が、子どもたち、孫たちの時代の教会の、礎となる。

           

          久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

          2017.12.30 Saturday

          「お休みのお知らせ」

          0

            いつもブログ【聖書のはなし】をお読みいただきありがとうございます。

            牧師の都合により、12月27日、1月3日、1/10の更新はお休みさせていただきます。

            それでは、2018年もよろしくお願いいたします。

             

            久居新生教会牧師 霤朕心鄂