2018.04.18 Wednesday

「傷跡が増える度に」ルカによる福音書2:8-20

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    <聖書>

     2:8さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。 2:9すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。 2:10御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。 2:11きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。 2:12あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。 2:13するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、

    2:14「いと高きところでは、神に栄光があるように、
    地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

     2:15御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。 2:16そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。2:17彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。 2:18人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。 2:19しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。 2:20羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。

    口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書2:8-20

     ルカが描くページェント(キリスト降誕劇、降誕物語)において、ローマ皇帝の勅令による住民登録のために、町はごった返し、人々はせわしなく動いている。皆忙しいのだ。

     しかし、羊飼いたちは違った。彼らは住民登録とは無関係に行動している。羊飼いの多くは自分の羊を所有しなかった。羊を借りて世話をしていたのである。財産もなければ、家もない。しばしば、野宿をし、洞穴で夜を過ごす。

     住民登録は税を徴収するために行われた。羊飼いには徴収するべき財産などない。ローマ皇帝と帝国にとって、羊飼いたちは「数えるに値しない者」だったのである。

     

    きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。」(2:21)

     ルカは羊飼いたちのために救主が生まれたと語る。そして、あなたも一人の羊飼いなのだということを伝えようとしている。

     しかし、ここで疑問が浮かんでくる。私は羊飼いほどに貧しくないし、排斥されてもいない。自分を羊飼いたちに重ねるのは、なんだか羊飼いたちに失礼な気がする。

     

     二十歳の冬に洗礼を受け、クリスマスを祝った。美しいクリスマスだった。キリストが我がためにお生まれになったことをありありと感じることができた。今はどうだろうか。

     あれから十五年経つ。癒えることのない病、絶望、死別、本当の悲しみを知った。今は、「あなたがたのために」という言葉を、以前より深く噛みしめている。絶望における希望、希望における絶望に生きる者は、だれでも一人の羊飼いなのだ。

     二十歳の頃には健康だった。夢もあった。悲しみは癒えるものだと思っていた。眠れぬ夜の苦しみを知らなかった。屋上のふちに立つ絶望を知らなかった。その時のクリスマスは、それはそれで美しかった。

     死別、病、絶望を経た人生の全体。それが「あなたがた」だ。赤ん坊が母を呼ぶように、救いを求めて泣き叫ぶ者のために、救い主はお生まれになった。消えない傷跡が増える度に、クリスマスの喜びは、静かに深くなっていく。

     

    久居新生教会牧師 霤朕心鄂

    2018.04.11 Wednesday

    「黒い土にまみれて」ルカによる福音書2:1-6

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      <聖書>

      2:1そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 2:2これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。 2:3人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。 2:4ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 2:5それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。 2:6ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 2:7初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

      口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書2:1-7

       皇帝アウグストゥスから勅令が出た。ルカがこう記したのは、単にキリストが生まれた時代を限定するためだけではない。彼は、我が王はローマ皇帝ではない、と暗に語っているのだ。そして、あなたにとっての真の王は誰か、と問いかけているのである。

       

       幼子イエスは家畜小屋で生まれ、飼い葉桶を初めての寝床とした。冷たい雨に濡れた黒い土にまみれるようにして、キリストは生を受けた。

      客間には彼らのいる余地がなかったからである。」(2:7)

       生まれた時から、この世界に彼の居場所はなかったのだ。彼ほど孤独な人間はいない。後に成長されたキリストはこう語っている。

      「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子には枕する所もない。」(9:58)

       

       ローマ皇帝と違って、幼子イエスには暖かいベットも、宮殿も、富も権力もない。しかし、この幼子イエスこそが私の王なのだと、ルカは伝えようとしている。

       幼子イエスに泊まる場所がなかったことは、世が彼を受け入れなかったこと、やがて起こる十字架の出来事を暗示している。いばらの冠は彼の王冠、紫の布は王の衣、十字架は彼の王座となった。

       幼子イエスは、既に十字架という神意をその身に帯びている。この土にまみれた幼子だけが、私の王である。

       

      久居新生教会牧師 霤朕心鄂

      2018.03.14 Wednesday

      「糸電話」ルカによる福音書1:57-66

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        <聖書>

          1:57さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。 1:58近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。 1:59八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。 1:60ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。 1:61人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。 1:62そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。 1:63ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。 1:64すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。 1:65近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、 1:66聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。

         

        口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書1:57-66

         

         「主のみ手が彼と共にあった」という言葉は、「神の行為と計画」を意味する。やがて、神の計画が、洗礼者ヨハネの生涯を通して遂行されるということである。

         「神の言葉が歴史となる。」私の恩師はそう語った。旧約聖書の預言は単に将来起こることを言い当てているのではない。神の言葉が歴史を形成したのだ。

         

         言葉が歴史を形成する。我々は今、「公文書の改竄」という国家の根幹を揺るがす事件に立ち会っている。記録の改ざんは歴史の改竄である。歴史がどのようにして改竄されるのか、よく分かった。

         都合の悪い事実から目を背け、小さい命が失われてもかえりみることのない猛毒を、誰もが心に宿している。洗礼者ヨハネの時代もそうだった。彼はヘロデとその妻子という権力者の企みと戯れにより、何の罪もなく斬首となった。しかし、神の計画は頓挫するどころか前進し、イエス・キリストの十字架へと向かった。

         

         「その名はヨハネ」とは、もともと天使がザカリヤに告げた言葉である。彼はこれを信じなかったため、天使に耳が聴こえず、口もきけない状態にされてしまった。「その名はヨハネ」とは、天使を通して語られた神の言葉であり、ザカリヤ自身の信仰告白でもあるのだ。彼の言葉はユダヤの山里に告げ広められ、人々はこの赤ん坊において将来実現することに思いをはせた。

         

         「神の言葉が歴史となる。」教会にとって神の言葉とは、イエス・キリストご自身、聖書、宣教の言葉である。一人一人が告げる福音を通して、神は歴史を形成される。我々が聖書のはなしをする時、歴史の形成に参与しているのだ。

         自分の言葉をあなどっていけない。それは神が歴史に関わられるための、糸電話なのだ。

         

        久居新生教会牧師 霤朕心鄂

        2018.03.07 Wednesday

        「大貧民」ルカによる福音書1:46-56

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          <聖書>

            1:46するとマリヤは言った、

          「わたしの魂は主をあがめ、
          1:47わたしの霊は救主なる神をたたえます。
          1:48この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
          今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
          1:49力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
          そのみ名はきよく、
          1:50そのあわれみは、代々限りなく
          主をかしこみ恐れる者に及びます。
          1:51主はみ腕をもって力をふるい、
          心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
          1:52権力ある者を王座から引きおろし、
          卑しい者を引き上げ、
          1:53飢えている者を良いもので飽かせ、
          富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
          1:54主は、あわれみをお忘れにならず、
          その僕イスラエルを助けてくださいました、
          1:55わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
          とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。

          口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書1:46-56

           

           トランプのゲームで「大富豪」というものがある。逆に「大貧民」と呼ぶ地方もある。このゲームには「革命」という手があって、同じカードを四枚切るとこれが起こる。最も強いカードは最も弱いカードに、最も弱いカードは最も強いカードになる。すべての秩序が逆転する。序盤に有利だった者は不利に、勝ち目のなかった者が最強になる。

           

           キリストは神の子であって革命家ではない。イエスという方との出会い自体が、命の革命なのだ。その時、人は神の国の逆転を先取りしているのだ。病は宝に、悲しみは約束となり、損なわれ続けた者たちは誉れを受ける。

           

           自分の人生は当然自分のものだと思っていた。けれども、イエスという方は人生の十字路で待っていた。私はこの人のために生きることにした。あまりにも多く赦されたからだと思う。

           この方との邂逅だけが、私のしがない人生における革命である。

          1:51主はみ腕をもって力をふるい、
          心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
          1:52権力ある者を王座から引きおろし、
          卑しい者を引き上げ、
          1:53飢えている者を良いもので飽かせ、
          富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

          久居新生教会牧師 霤朕心鄂

          2018.02.28 Wednesday

          「祝福の正体」ルカによる福音書1:39-46

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            <聖書>

             1:39そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、 1:40ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。1:41エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、 1:42声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。 1:43主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。 1:44ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。1:45主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。 

            口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書1:39-46

             

             二人の女が喜んでいる。しかし、福音書記者ルカは、二人の子の将来を知っている。エリサベツの子、洗礼者ヨハネは、何の罪もなく悪しき王に首をはねられ、マリヤの子、イエスは十字架刑で死ぬ。二人の母が経験したことは、不幸という次元を超えている。

             それでもなお、ルカはエリサベツを通して、マリヤと胎児イエスへの祝福を語る。聖書が伝えようとしてる祝福とは一体何なのか。みぞおちのあたりが圧迫されるような感触がある。

             

            1:45主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう

             マリヤが信じたことの一つは、イエスの受胎。もう一つは以下の天使の言葉である。

             1:32彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、 1:33彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」(ルカによる福音書1:32-33)

             つまり、イエスという方がやがて神の国の来る時、王座に座られるということである。マリヤには、キリストに与えられる冠がいばらであり、王座が十字架であるなど、知るよしもなかっただろう。

             マリヤは神の言葉によって起こったこと(受胎)、今起こっていること(妊娠)、これから起こること(イエスの王権)を信じた。彼女の想像を超えた仕方で、それは実現した。だからこそ、彼女の心は「引き裂かれた」(ルカによる福音書2:35)。

             

             新約聖書には使徒言行録(使徒行伝)という書物があるが、これもルカが書いたものである。キリストの十字架と復活の出来事の後のマリヤに関連して、彼はこう綴っている。

            1:14彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」(使徒行伝1:14)

             意地悪なインタビュアーがその場にいて、「あなたは今でも自分を『女の中で祝福された人』だと思いますか?」と尋ねたとしたら、彼女は何と答えただろうか。答えは「心を合わせて」という言葉の中にある気がする。彼女の心は、我が子を失ってなお、人に向かって開かれていたのだ。

             

            1:45主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう

             神の言葉を信じたが故の悲しみ、耐え難い離別、病、死。例の意地悪なインタビュアーが「あなたはそれでも、神の言葉を信じたことを後悔していませんか」と聞いたならば、たぶん私はこう答える。「もちろん。」

             本当の喜びには悲しみの結晶が秘められており、悲しみの最深部には本当の祝福が隠されている。

             

            久居新生教会 牧師 霤朕心鄂