2017.09.27 Wednesday

「メロディー」ルカによる福音書1:1-4

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    <聖書>

     1:1わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、 1:2御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、 1:3テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。 1:4すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。

    口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書1:1-4

     「確実」と訳されたギリシャ語の単語には、「真相」という意味がある。もしかすると、口頭でイエス・キリストについての話を聞いたテオフィロなる人物は、それを不確かな「噂話」のように感じたのかもしれない。そこでルカは「噂の真相」を明らかにすべく、福音書の執筆に着手したわけだ。

     

     「わたしたちの間に成就された出来事」、福音書の最初の言葉、ここにはかすかだが優しく確かな喜びの歌がある。「成就された出来事」とはキリストの降誕、言葉と業、十字架と復活、昇天のことである。ルカにとっては「過去の出来事」のはず。しかし、ルカは「わたしたちの間に」と言う。

     それは「かつて」成就したが、「今」喜びの源泉としてそこにある。ルカは柔らかな眼差しをもってその泉を見つめている。湧き出す水を口にしながら、イエス・キリストの歴史を、福音書として書き始めるのだ。

     

     聖書に聴くことは、聖書の世界を旅することである。その旅の間中、ルカの小さな喜びの歌は、底流で響き続けることだろう。

     

    久居新生教会牧師 霤朕心鄂

    2017.03.29 Wednesday

    「目黒川に鯉が泳ぐように」ルカによる福音書23:39-43

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      <聖書>

       23:39十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。 23:40もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。 23:41お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。 23:42そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。 23:43イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。

      口語訳聖書(1954年版)ルカによる福音書23:39-43

      「私のことを覚えていてほしいの。私が存在し、こうしてあなたのとなりにいたことをずっと覚えていてくれる?」

      「もちろんずっと覚えているよ」と僕は答えた。

      『ノルウェイの森 上』村上春樹、講談社、1987年、17頁

       

       「直子」と「ワタナベ」の会話だ。直子の人生は既に死に定められていた。絶望が彼女を少しずつ蝕んだ。誰もそれを止めることはできなかった。当然、ワタナベにもできなかった。

       

       犯罪人はキリストに、自分を救ってください、御国に入れてくださいと言うことができなかった。彼が何とか紡ぎ出したのは「わたしを思い出してください」という言葉だった。

       この言葉には、何か私の心を掻き乱すものがある。彼はおそらく、絶望していたのだろう。絶望の中で光を見ている。しかし、その光に自分が「値しない」ことを知っている。だから、「わたしを思い出してください」と言ったのだ。

       

       「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいる。」予期せぬ絶望の終わりがここにある。パラダイスとは「エデンの園」のことで、エデンの園は「神との関係の回復」つまり、「罪の赦し」を意味する。

       キリストはこれから犯罪人と一緒に十字架の上で死んで、天国に行くと言ったのではない。「あなたの罪は、今赦された」と言ったのである。罪が赦されたところにパラダイスが回復される。十字架の上には絶望が集まる。しかし、その只中に楽園が生まれる。自らが光に値しないことを知っていた犯罪人は、今絶望の只中で光と共にパラダイスに生きている。汚れた目黒川に鯉が泳ぐように。

       

       私は祈っていくと思う。「あなたが御国の権威をもっておいでになる時」つまり、キリストが歴史の終末に再び来られる時、私を思い出してほしいということ。そして、先に死んでいった友や仲間のことを、どうかあなただけは忘れないでください、思い出してくださいと。

      久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

      2017.03.22 Wednesday

      「すべての愛を与えてくれる人がいたら」ルカによる福音書23:32-38

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        <聖書>

         23:32さて、イエスと共に刑を受けるために、ほかにふたりの犯罪人も引かれていった。 23:33されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。 23:34そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。 23:35民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った、「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」。 23:36兵卒どももイエスをののしり、近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、23:37「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」。 23:38イエスの上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札がかけてあった。

        口語訳聖書(1954年版)ルカによる福音書23:32-38 

         人は驚くほど残酷になれる。恐ろしいことに、扇動されたり、同調圧力に屈したり、権力(それが家庭・職場・社会のいずれのレベルにおけるものであれ)を持ったときに非道な行いをするのは、普段は「善良な市民」なのだ。私が我を失ったとき、自分が我を失っているとは思わないだろう。むしろ、自分は正義を行っていると信じ切っているはずだ。我々は自分が本当は何に手を染めてしまっているのか、知らずにいるのではないか。我々の手は、おそらく自分が思っているほどきれいではない。

         

         神は非常に怒っている。けれども、その怒りはイエスという方の上に下された。

         「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです

         この言葉が人をして我にかえす。バケツの水を頭から浴びせかける。この方は私のことを祈っているのだと気付く。我に返ったならば、この方の祈りを決して手放してはならない。この方が差し出している何かを、心して受け取るのだ。

         

         ボブ・ディランが“I THREW IT ALL AWAY”という曲の中でこんな風に歌っている。

         

         だからすべての愛を与えてくれる人がいたら

         心して受け取り逃がしてはならない

         確かなことがひとつある

         それは必ず苦しむことになるということ

         もしすべてを捨ててしまうならば

         

        久居新生教会牧師 霤朕心鄂