2016.07.13 Wednesday

喜ばしき謎

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     今回は「聖書」のはなしではなく、「聖書のはなし」を書くときに、念頭にあることについて書きたいと思う。

     多くの場合、私は「聖書のはなし」を「大切な何かを失ってしまった人々」に向けて書いている。夫を失った人、妻を亡くした人、息子に先立たれた人、娘を失った人、弟が死んだ人、兄を亡くした人、友を失った人、愛する者を失った人。

     世界はそのような悲しみに満ちている。しかし、失った人々は、失われた者についてみだりに語ることを好まない。多くの悲しみは語られぬまま、人に知られぬまま、墓場に持ち込まれる。

     悲しむ人々は、やがて悲しみそのものが生きる喜びと一体になっていく経験をする。これは神が我々の人生に与えた、喜ばしき謎である。

     

    久居新生教会 牧師 霤朕心鄂