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2018.06.27 Wednesday

「急いで帰ろう」ルカによる福音書4:16-30

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    <聖書>

     4:16それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。 4:17すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、

    4:18「主の御霊がわたしに宿っている。
    貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
    わたしを聖別してくださったからである。
    主はわたしをつかわして、
    囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
    打ちひしがれている者に自由を得させ、
    4:19主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。

     4:20イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。 4:21そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。 4:22すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。 4:23そこで彼らに言われた、「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう」。 4:24それから言われた、「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。 4:25よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、 4:26エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。4:27また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くのらい病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。 4:28会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、 4:29立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。 4:30しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。

     

    口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書3:16-30

     「主の恵みの年」とは「ヨベルの年」のことである。ヨベルとは角笛のことで、この年には国中に角笛の音が響き渡った。

     ヨベルの年については旧約聖書のレビ記25章に記されている。50年に一度、すべての負債は免除され、身売りをした者は自由になり、先祖伝来の土地を売らざるを得なかった者はそれを取り戻す。

     

     当時の民衆はローマ帝国への税、領主(ヘロデやピラト)への税という二重の税に苦しんでいた。また、多くの者が土地を持たない小作人で、収穫の半分以上を地主に納めていたという。これでは暮らしが成り立つはずがない。当然、飢饉の年にはおびただしい餓死者が出た。

     ヨベルの年は、現実には厳格に履行されなかったと言われている。民衆は究極的な解放を、終末のメシアの到来に託すようになっていった。会堂でキリストが「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」(4:21)と言われたのは、自らが究極のヨベルの年をもたらすメシアであることを宣言したことを意味する。

     

     しかし、その後に語ったことが、人々の怒りを買う。「サレプタのやもめ」、「シリヤのナアマン」は共に「異邦人」(外国人)である。キリストが語ったことの趣旨は、自分は神の民イスラエルだけではなく、異邦人の救いのためにも、神から遣わされたのだということだ。

     人々はこれに我慢することができなかった。当時、イスラエルの民だけが救われるという選民思想が広まっていたことも一つの理由だろう。しかし、事はそれほど単純ではない。民衆は呻き苦しんでいたのである。「異邦人」は彼らにとって、多くの場合支配階級であった。自分たちはこんなにも貧しく、呻き、叫びをあげているのに、お前は異邦人の救いなどということを語るのか。これが人々の思いだったのだろう。その怒りは、キリストを崖から突き落として殺そうとするほど激しいものだった。

     

     キリストは税金を治めることができずに投獄される同胞の姿を見ていただろう。身売りで引かれて行く子どもの姿を知っていただろう。枯れ切った涙や、遺体の発する香りや、流れる赤い血の色を、見ていなかったはずがない。それでも、異邦人の救いを語らなければならなかった。なぜだろう。

     それは十字架と復活の後に救われていく者たちを、遥かに見ていたからだ。実際にキリストの福音は、異邦人である我々のもとに届いたのだから。

     

     「ヨベルの年」はやがて、キリスト教会において、十字架と復活における罪からの解放を意味するようになっていった。讃美歌21の431番の4節では次のように歌われている。

     

    喜ばしい 年はじまる

    あがなわれた 罪人たち

    喜びいさんで ふるさとさしつつ

    急いで帰ろう。

    (讃美歌21、日本基督教団出版局)

     「ふるさと」とは、もちろん神の国のことだ。人生は確かに神の国への帰り道となり得る。ただ神の恵みとその人の信仰とによって。

    久居新生教会牧師 霤朕心鄂

    コメント
    霤朕心鄂誉萓
    初めてご連絡させて頂きます。夏期伝道実習をさせて頂きます濱田美恵子と申します。今日加藤幹夫先生から予定表を送って頂きました。8月28日から実習とわかりました。29日の聖研奨励について、聖書箇所は、どのようになっていますか。また、聖日礼拝説教について、お教えいただければと思います。ご連絡を差し上げる必要なことをお教え下さい。よろしくお願い致します。祈りつつ備えてまいります。よろしくお願い致します。東京神学大学大学院1年 濱田美恵子
    • 濱田美恵子
    • 2018.07.11 Wednesday 00:18
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