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2017.03.08 Wednesday

「最大の信仰」マルコによる福音書15:33-41

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    <聖書>

     15:33昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。 15:34そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 15:35すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。 15:36ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。15:37イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。 15:38そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。 15:39イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。 15:40また、遠くの方から見ている女たちもいた。その中には、マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセとの母マリヤ、またサロメがいた。15:41彼らはイエスがガリラヤにおられたとき、そのあとに従って仕えた女たちであった。なおそのほか、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた。

    口語訳聖書(1954年版) マルコによる福音書15:33-41

     隣の部屋からもうすぐ四才になる娘の「なんでー!」という泣き声が聞こえてくる。たぶん、テレビを消されたのだろう。本気で怒って妻にくってかかっている。本気で怒ることができるのは、娘が妻を信頼しているからだと思う。

     娘の叫び声を聞いていると、どうして自分はあの頃、娘のように神さまに泣きつくことができなかったのだろうと、少し悲しい気持ちになる。一番苦しかった時、どうして私を見捨てたんですか、どうして裏切ったんですか、無視し続けたんですかと、神にくってかかることができなかった。平静を装い続けた。平静を装うことで、神を見捨てたのは私の方ではなかったか。

     

     最大の信仰とは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という祈り得ることではないだろうか。神から最も遠い場所において、神に最も近くある。イエスという方の神の子たる秘儀がここにある。完全な絶望においてもこの方は「わが神、わが神!」と叫ぶことができる。「まことに、この人は神の子であった。」

     

     「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」この言葉は神への道が「神の側から」(上から下へ)拓かれたことを意味している。神への道は救いの道である。救いの道とは絶望においても「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶことができる道である。

     

     ある教会の信徒が語ってくれた。「私は一番つらい時を、信仰以外のもので乗り越えてしまったように思います。だから、もう一度苦しみの時がやってきたら、今度は信仰で乗り越えたいんです。」私も思う。「次は信仰で乗り越えたい。」

     次にやって来るのが人生最大の苦難であれ、自分自身の死であれ、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と祈る心を、忘れないでいたい。そう祈ってよいのだということを、忘れないでいたい。

    久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

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