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2017.04.19 Wednesday

「あなたのガリラヤ」マルコによる福音書16:1-8

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    <聖書>

    16:1さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。 16:2そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。 16:3そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。 16:4ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。 16:5墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。 16:6するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。 16:7今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。16:8女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。

    口語訳聖書(1954年版) マルコによる福音書16:1-8

     福音書記者マルコは、「恐ろしかったからである」という言葉をもって、福音書を閉じている。

     天使と思われる若者の「イエスはよみがえって」という言葉は、原文では「受身形」で書かれている。神がよみがえらせたという意味は明白である。ここに婦人たちの恐れの本体がある。彼女たちは、「神の業」を目の当たりにしたのだ。霊的な戦慄が彼女らを貫いた。この恐れから本物の復活の喜びが生起する。なぜならば、神への恐れが死への恐れを凌駕するからだ。神の業が死の力を打ち抜く。そこに恐れが起こる。この恐れは時をおいて、やがて体の奥から湧き出すような喜びに変わる。

     

     「ガリラヤ」が復活のキリストと弟子たちの再開の場所であった。私たちにとってのガリラヤは「終末」である。終わりの日にイエスという方と顔と顔を合わせるのだ。

     マルコは弟子たちのガリラヤでの再会を描かずに筆を止めている。この続きはあなたの命で描き出しなさい、あなたのガリラヤを目指して生きなさい。そんなことが言いたかったのかもしれない。

    久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

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