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2017.08.23 Wednesday

「すべての荷を降ろす」テサロニケ人への第一の手紙5:1-11

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     5:1兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。 5:2あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。 5:3人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。 5:4しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。 5:5あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。 5:6だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。 5:7眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。 5:8しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。 5:9神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。 5:10キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。 5:11だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。

    口語訳聖書(1954年版) テサロニケ人への第一の手紙5:1-11

     

     洗礼を受けてから十三年と少し経った。色々なことがあったが、今、「さめても眠っていても主と共に生きる」という言葉のもとに、過ぎた日々を思い起こしている。

     考えてみれば申し訳のないことをしてきた。復活のキリストの方は、寝ても覚めても共にいてくださるのに、こちらの方はいつも共におられる方を忘れてばかりいる。

     人がキリストと共に生きようとして、共に生きるのではない。キリストが共に生きてくださるので、人もキリストと共に生きるのだ。「キリストが私たちのために死なれた」のは、そのためである。

     

     寝ても覚めても主と共に生きる者にとって、「主の日」、世界の終末は滅びではなく、救いの完成を意味するようになる。また、自分の人生の終末(死)も滅びではなく、完全な平安の到来となる。人生の終末は、世界の終末への寝台特急だ。目覚めたらそこは終点だ。

     正直に言えば、私は世界と自分の人生の終末を切望している。すべての終わりを求めている。しかし、自らの命を絶つことは決してないだろう。イエスという方が「生きよ」と言ってくださる限り、一分でも一秒でも長く、なりふりかまわずに生きてやるつもりだ。

     でもやはり、私は終わりを求めている。終わりとは、今は見ることができないキリストに、顔と顔を合わせてお会いする日なのだ。その時、この方のもとにすべての荷を降ろすであろう。今、寝ても覚めても共に生きてくださっている方にお会いする日、それが「終わりの日」だ。

     

    久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

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