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2017.09.20 Wednesday

「夕となりまた朝となった」創世記1:1-5

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    <聖書>

    1:1はじめに神は天と地とを創造された。 1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

    1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

    口語訳聖書(1955年版) 創世記1:1-5

     

     「形なく、むなしく」という言葉は、新共同訳聖書では「混沌」(カオス)と訳されている。「混沌」は単に遠い昔に存在したものではない。旧約聖書のエレミヤ書の中で預言者エレミヤは次のように語っている。

     

     「わたしは地を見たが、
    それは形がなく、またむなしかった
    天をあおいだが、そこには光がなかった」(エレミヤ書4:23)

     

     エレミヤがこう語ったのは、戦争によって母国と故郷が破壊しつくされた時だった。彼は明らかに天地創造の混沌と闇を念頭に置いている。混沌と闇は過去のものではない。

     

     自分の内と外に「混沌」は存在する。逃げ切ることはできない。向き合うしかない。しかし勝ち目はない。「光」がなければ、混沌と向き合うことはできない。

     

     キリストの十字架の出来事は、天地創造が新しく起こったような光の出来事であった。キリストが十字架に架けられた時、全地は闇に覆われたという。この闇は天地創造の時にもあったのである。

     「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコよる福音書15:34)十字架の上で叫んだ言葉、太古の闇をくまなく照らすような光の言葉である。単なる絶望の叫びに聞こえるかもしれない。確かにここには深い絶望がある。けれども、この方は絶望していても神につかみかからんばかりに叫ぶことができたのだ。神から最も見離された場所で、誰よりも神に近く在ったのだ。

     

     「1:5夕となり、また朝となった。第一日である。

     聖書の世界では日没に一日が始まり、日の出をもって一日が終わる。素敵ではないか。世界も人生も闇から始まって夜明けで終わるのだ。創造とキリストの光を見、新しく夜から朝への歩みを始める。その時が、私たちにとっての「第一の日」だ。

     

    久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

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