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2017.11.15 Wednesday

「裁きと赦しの交差点」

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    <聖書>

     3:1さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。 3:2女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、3:3ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。3:4へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 3:5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。 3:6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。 3:7すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

     3:8彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。 3:9主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。 3:10彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。 3:11神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。 3:12人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。 3:13そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。 3:14主なる神はへびに言われた、

    「おまえは、この事を、したので、
    すべての家畜、野のすべての獣のうち、
    最ものろわれる。
    おまえは腹で、這いあるき、
    一生、ちりを食べるであろう。
    3:15わたしは恨みをおく、
    おまえと女とのあいだに、
    おまえのすえと女のすえとの間に。
    彼はおまえのかしらを砕き、
    おまえは彼のかかとを砕くであろう」。

    3:16つぎに女に言われた、

    「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。
    あなたは苦しんで子を産む。
    それでもなお、あなたは夫を慕い、
    彼はあなたを治めるであろう」。

    3:17更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、

    地はあなたのためにのろわれ、
    あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
    3:18地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
    あなたは野の草を食べるであろう。
    3:19あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、
    あなたは土から取られたのだから。
    あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

    口語訳聖書(1955年版) 創世記3:1-19

     

     「日の涼しい風の吹くころ」とは夕方のことで、この時間になると神がいつも二人のところを訪ねていたことを表している。けれども、いつもの二人がもうそこにはいないことを、神は知っている。罪が二人を捕えてしまったのだ。末っ子のヨセフを失った父ヤコブのように、放蕩息子に出て行かれた父親のように、痛みを含んだ声で、神は問いかける。

    「あなたはどこにいるのか。」

     

     「罪」について、今日の箇所から色々な解釈がなされる。神の命令に背いたことが罪、神のようになろうとしたことが罪、神から隠れることが罪、人のせいにすることが罪。マトから近い遠いはあるにせよ、どの解釈も間違いではないと思う。

     人のせいにする罪に近いが、私としては「罪を認めることができない罪」に、罪の深刻さを見ずにはおれない。

    「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです(ルカによる福音書23:34

     わたしのせいではない、わたしのせいではない、人間の奥底にある叫びだ。その叫びはやがて「十字架につけろ、十字架につけろ」という叫びとして、キリストに向かう。

     醜い。本当のところ自分はとても醜い。その醜さから目を逸らして過ごしている。それがまた情けない。

     ただ、アダムとエバの姿を見るとき、これは自分の姿だなと思う。そして、そんな人間のために十字架の上で神に赦しをこうた方のことを思わずにはおれない。

     思うに、人が自分の罪を知り、認めるのは、十字架の上に裁きと赦しが一緒に在るからではないだろうか。

      

    久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

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