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2017.12.20 Wednesday

「救いは成った 希望は在る」創世記5:1-32

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    <聖書>

     5:1アダムの系図は次のとおりである。神が人を創造された時、神をかたどって造り、 5:2彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。 5:3アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。 5:4アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。5:5アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。

     5:6セツは百五歳になって、エノスを生んだ。 5:7セツはエノスを生んだ後、八百七年生きて、男子と女子を生んだ。 5:8セツの年は合わせて九百十二歳であった。そして彼は死んだ。

     5:9エノスは九十歳になって、カイナンを生んだ。 5:10エノスはカイナンを生んだ後、八百十五年生きて、男子と女子を生んだ。5:11エノスの年は合わせて九百五歳であった。そして彼は死んだ。

     5:12カイナンは七十歳になって、マハラレルを生んだ。 5:13カイナンはマハラレルを生んだ後、八百四十年生きて、男子と女子を生んだ。 5:14カイナンの年は合わせて九百十歳であった。そして彼は死んだ。

     5:15マハラレルは六十五歳になって、ヤレドを生んだ。 5:16マハラレルはヤレドを生んだ後、八百三十年生きて、男子と女子を生んだ。 5:17マハラレルの年は合わせて八百九十五歳であった。そして彼は死んだ。 5:18ヤレドは百六十二歳になって、エノクを生んだ。 5:19ヤレドはエノクを生んだ後、八百年生きて、男子と女子を生んだ。 5:20ヤレドの年は合わせて九百六十二歳であった。そして彼は死んだ。

     5:21エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。 5:22エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。 5:23エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。 5:24エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。

     5:25メトセラは百八十七歳になって、レメクを生んだ。 5:26メトセラはレメクを生んだ後、七百八十二年生きて、男子と女子を生んだ。 5:27メトセラの年は合わせて九百六十九歳であった。そして彼は死んだ。

    5:28レメクは百八十二歳になって、男の子を生み、 5:29「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。 5:30レメクはノアを生んだ後、五百九十五年生きて、男子と女子を生んだ。 5:31レメクの年は合わせて七百七十七歳であった。そして彼は死んだ。

     5:32ノアは五百歳になって、セム、ハム、ヤペテを生んだ。

     

    口語訳聖書(1955年版) 創世記5:1-32

     

     聖書で言う「呪い」とは、「神による人間の罪に対する刑罰」のことである。呪術や祟りのことではない。

     レメクは「5:29この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言った。彼は呪われた地、カインがアベルの血を流し、不毛の地となったところに生きている。

     この箇所についてW・ブルッグマンという人が、次のように述べている。

    「救済が呪われた土地から来るという主張は、新約聖書における十字架の死と復活を容易に思い浮かべさせる。助けが呪いの場所から来るのであれば、生命は死の現実から来るのである。」

     

     呪われた大地に、幼子キリストはお生まれになった。神の怒りと刑罰は、余すことなくこの方の上に望んだ。十字架は呪いの極致である。同時に限りのない赦しである。

    「救済が呪われた土地から来る。」

     すると地は呪われた地であることを止めた。人は呪いから救いへの道を示された。

     公害の原因だった工場がなくなっても、すぐに海がきれいになるわけではない。大地が浄化されるわけでもない。

     だから、私たちは残滓としての世の暗闇に向き合わなければならない。けれどもその時、この暗闇以上に暗い、呪われた地にキリストがお生まれになったことを思う。救いは成った。希望は在る。

     

    5:1アダムの系図は次のとおりである。神が人を創造された時、神をかたどって造り、 5:2彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。 5:3アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。

     神はご自分にかたどって人を創造し、アダムは自分にかたどりセツという息子を得た。

     アダムとエバの楽園追放により、「神のかたち」は損なわれた。けれども、完全に失われてしまったわけではない。たとえ損なわれてしまったとしても、アダムからセツに、そしてすべての人に、「神のかたち」はある。

     キリストの十字架の死と復活は、信ずる者に「神のかたちの回復」をもたらす。「神のかたち」があるから、人は「神との対話」に生きる。それは礼拝、祈り、讃美の生活である。

     

     アダムとセツに「神のかたち」が残されていたのは、やがて呪いの地のただ中で、それを回復する方がお生まれになるためであったのだと思わずにはいられない。

    久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

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