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2018.04.25 Wednesday

「当たり前のこと」ルカによる福音書2:41-52

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    <聖書>

     2:41さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。 2:42イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。 2:43ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。2:44そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、 2:45見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。 2:46そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 2:47聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。 2:48両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。 2:49するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。 2:50しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。 2:51それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。

     2:52イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。

     

    口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書2:41-52

     「探す」ではなく、捜索の「捜す」という言葉が四回も使われている。両親は生きた心地がしなかっただろう。家族が行方不明になった経験をしている者なら分かるはずだ。母マリアは、自分の命に代えてもいいから、どうか息子を助けてくださいと神に願ったかもしれない。

     

    「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。2:49)

     私の息子が同じことをしたなら、げんこつを食らわせることを我慢できないかもしれない。しかし、少年イエスの言葉には、何かしら不思議な力があった。だからこそ、マリアも少年イエスの言葉を「心に留めていた」のだろう。

     

     「心に留める」というギリシャ語を辞書で調べると、“treasure up”(心に銘記する)と書かれていた。“宝物のように大切にしまう”という感じだろうか。母マリアは、忘れなかった。あの出来事と十二歳のイエスの言葉を、大切に心にしまっていた。だからこそ、後で思い出し、キリストの言葉の真意を理解することができた。

     

     「わたしが自分の父の家にいるはず」という少年イエスの言葉には、少なくとも三つの意味合いがあると思う。神への献身、犠牲の子羊、昇天。

     おそらく、マリアは三回ほど、あの時の少年イエスの言葉を思い起こしたのではないかと思う。一回目はキリストが「神の国は近づいた」と言って、宣教を開始した時。マリアは「あの子は神に身を献げたんだ」とイエスの献身を思ったかもしれない。

     二回目はイエスが十字架刑で死んだ時、あの子が父の家にいるはずと言ったのは、自らを罪を贖う犠牲としてささげることだったのかもしれない。

     三回目は復活されたイエスが昇天された時、父の家にいるとはそういうことだったのかと、マリアは思ったのかもしれない。

     

     我が子を十字架刑で失った時、かつてエルサレムで少年イエスを見失った時と同じように、マリアは我が子イエスを「捜した」のではないだろうか。あの子はどこに行ってしまったのかと、涙を枯らしたのではないだろうか。

     私は新共同訳聖書の少年イエスの言葉の翻訳が好きである。

    「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(2:49)

     それは「当たり前なんだ」と少年イエスは言われた。

     我が子イエスの死後に、息子を捜し求めたマリアは、「当たり前」のことに気付いただろう。あの子は父なる神のもとにいるんだと。それは当たり前のことなんだと。

     

     「知らなかったのですか」という少年イエスの言葉には、愛嬌すら感じられる。キリストを見失い、捜し求めて苦悩に苦悩を重ねることがあるかもしれない。キリストはいつでも見つけられる場所におられる。彼は「父の家」におられる。天の神の右に坐し、聖霊によって教会におられる。

     「知らなかったのですか。」それは当たり前のことなのだ。当たり前のことが大切なのだ。

      

    久居新生教会牧師 霤朕心鄂

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