2018.03.14 Wednesday

「糸電話」ルカによる福音書1:57-66

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    <聖書>

      1:57さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。 1:58近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。 1:59八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。 1:60ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。 1:61人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。 1:62そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。 1:63ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。 1:64すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。 1:65近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、 1:66聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。

     

    口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書1:57-66

     

     「主のみ手が彼と共にあった」という言葉は、「神の行為と計画」を意味する。やがて、神の計画が、洗礼者ヨハネの生涯を通して遂行されるということである。

     「神の言葉が歴史となる。」私の恩師はそう語った。旧約聖書の預言は単に将来起こることを言い当てているのではない。神の言葉が歴史を形成したのだ。

     

     言葉が歴史を形成する。我々は今、「公文書の改竄」という国家の根幹を揺るがす事件に立ち会っている。記録の改ざんは歴史の改竄である。歴史がどのようにして改竄されるのか、よく分かった。

     都合の悪い事実から目を背け、小さい命が失われてもかえりみることのない猛毒を、誰もが心に宿している。洗礼者ヨハネの時代もそうだった。彼はヘロデとその妻子という権力者の企みと戯れにより、何の罪もなく斬首となった。しかし、神の計画は頓挫するどころか前進し、イエス・キリストの十字架へと向かった。

     

     「その名はヨハネ」とは、もともと天使がザカリヤに告げた言葉である。彼はこれを信じなかったため、天使に耳が聴こえず、口もきけない状態にされてしまった。「その名はヨハネ」とは、天使を通して語られた神の言葉であり、ザカリヤ自身の信仰告白でもあるのだ。彼の言葉はユダヤの山里に告げ広められ、人々はこの赤ん坊において将来実現することに思いをはせた。

     

     「神の言葉が歴史となる。」教会にとって神の言葉とは、イエス・キリストご自身、聖書、宣教の言葉である。一人一人が告げる福音を通して、神は歴史を形成される。我々が聖書のはなしをする時、歴史の形成に参与しているのだ。

     自分の言葉をあなどっていけない。それは神が歴史に関わられるための、糸電話なのだ。

     

    久居新生教会牧師 霤朕心鄂

    2018.03.07 Wednesday

    「大貧民」ルカによる福音書1:46-56

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      <聖書>

        1:46するとマリヤは言った、

      「わたしの魂は主をあがめ、
      1:47わたしの霊は救主なる神をたたえます。
      1:48この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
      今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
      1:49力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
      そのみ名はきよく、
      1:50そのあわれみは、代々限りなく
      主をかしこみ恐れる者に及びます。
      1:51主はみ腕をもって力をふるい、
      心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
      1:52権力ある者を王座から引きおろし、
      卑しい者を引き上げ、
      1:53飢えている者を良いもので飽かせ、
      富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
      1:54主は、あわれみをお忘れにならず、
      その僕イスラエルを助けてくださいました、
      1:55わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
      とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。

      口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書1:46-56

       

       トランプのゲームで「大富豪」というものがある。逆に「大貧民」と呼ぶ地方もある。このゲームには「革命」という手があって、同じカードを四枚切るとこれが起こる。最も強いカードは最も弱いカードに、最も弱いカードは最も強いカードになる。すべての秩序が逆転する。序盤に有利だった者は不利に、勝ち目のなかった者が最強になる。

       

       キリストは神の子であって革命家ではない。イエスという方との出会い自体が、命の革命なのだ。その時、人は神の国の逆転を先取りしているのだ。病は宝に、悲しみは約束となり、損なわれ続けた者たちは誉れを受ける。

       

       自分の人生は当然自分のものだと思っていた。けれども、イエスという方は人生の十字路で待っていた。私はこの人のために生きることにした。あまりにも多く赦されたからだと思う。

       この方との邂逅だけが、私のしがない人生における革命である。

      1:51主はみ腕をもって力をふるい、
      心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
      1:52権力ある者を王座から引きおろし、
      卑しい者を引き上げ、
      1:53飢えている者を良いもので飽かせ、
      富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

      久居新生教会牧師 霤朕心鄂

      2018.02.28 Wednesday

      「祝福の正体」ルカによる福音書1:39-46

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        <聖書>

         1:39そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、 1:40ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。1:41エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、 1:42声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。 1:43主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。 1:44ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。1:45主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。 

        口語訳聖書(1954年版) ルカによる福音書1:39-46

         

         二人の女が喜んでいる。しかし、福音書記者ルカは、二人の子の将来を知っている。エリサベツの子、洗礼者ヨハネは、何の罪もなく悪しき王に首をはねられ、マリヤの子、イエスは十字架刑で死ぬ。二人の母が経験したことは、不幸という次元を超えている。

         それでもなお、ルカはエリサベツを通して、マリヤと胎児イエスへの祝福を語る。聖書が伝えようとしてる祝福とは一体何なのか。みぞおちのあたりが圧迫されるような感触がある。

         

        1:45主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう

         マリヤが信じたことの一つは、イエスの受胎。もう一つは以下の天使の言葉である。

         1:32彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、 1:33彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」(ルカによる福音書1:32-33)

         つまり、イエスという方がやがて神の国の来る時、王座に座られるということである。マリヤには、キリストに与えられる冠がいばらであり、王座が十字架であるなど、知るよしもなかっただろう。

         マリヤは神の言葉によって起こったこと(受胎)、今起こっていること(妊娠)、これから起こること(イエスの王権)を信じた。彼女の想像を超えた仕方で、それは実現した。だからこそ、彼女の心は「引き裂かれた」(ルカによる福音書2:35)。

         

         新約聖書には使徒言行録(使徒行伝)という書物があるが、これもルカが書いたものである。キリストの十字架と復活の出来事の後のマリヤに関連して、彼はこう綴っている。

        1:14彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」(使徒行伝1:14)

         意地悪なインタビュアーがその場にいて、「あなたは今でも自分を『女の中で祝福された人』だと思いますか?」と尋ねたとしたら、彼女は何と答えただろうか。答えは「心を合わせて」という言葉の中にある気がする。彼女の心は、我が子を失ってなお、人に向かって開かれていたのだ。

         

        1:45主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう

         神の言葉を信じたが故の悲しみ、耐え難い離別、病、死。例の意地悪なインタビュアーが「あなたはそれでも、神の言葉を信じたことを後悔していませんか」と聞いたならば、たぶん私はこう答える。「もちろん。」

         本当の喜びには悲しみの結晶が秘められており、悲しみの最深部には本当の祝福が隠されている。

         

        久居新生教会 牧師 霤朕心鄂

        2018.02.07 Wednesday

        お休みのお知らせ

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          二週続きになってしまいますが、今週もわたしに都合によりブログの更新をお休みさせていただきます。

          来週から再開する予定です。

           

          久居新生教会牧師 霤朕心鄂

          2018.01.31 Wednesday

          「お休みのお知らせ」

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            いつも【聖書のはなし】をお読みいただきありがとうございます。

            今週は私の都合により、更新をお休みさせていただきます。

             

            「読んでますよ」「読んでるよ」の一声が、いつも大きな力になっています。

            ありがとうございます。

             

            久居新生教会牧師 霤朕心鄂